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2007年6月26日 (火)

出会い

インドでは、騙されたり、病気になったりと、約1ヶ月で

一通りの洗礼を受けた。

入国時よりとりわけ逞しくなった

私たちは、ネパールの旅を後にして、再びインドへ戻り

最終訪問地を”青きガンガー”の流れる「リシケシ」という

ヨガの聖地に決めた。

この街は、私が単に「青きガンガー」という言葉に惹かれたのだった。

ガンジスの色が青いなんて、ベナレスで見てきた

死体を流し、多くの人が祈りを捧げる巨大で茶色いガンジス河からは、

想像もつかないものだった。

長さ2000キロというガンジス河は、まさに長き人生を経て

色々な支流と出会い、成長して色を変えていき、いずれは

広大なる海に出会う、あたかも人間のように思えて

ならないのだ。

その上流、いわば生まれてしばらくたった幼児のような

ガンジスとは、どのようなものなのだろう・・と一目見たく

なったのだ。

さらに、ガイドブックには、「サフラン色の衣をまとった求道者たちが

朝夕に祈りを捧げる光景が見れる」と書かれてあった。

私は、ビートルズのジョンレノンが訪れ、修行したと言われる

この聖地に、魅力を感じたのだった。

首都デリーから、安いボロボロのローカルバスに乗り、

舗装もままならない石だらけの道をほこりを舞い上げながら

8時間走った。

いくつもの森や山を抜けると、そこは静かで小さなガンジスの流域に

へばりつくようなアシュラム(いわゆる修行者たちの道場)が点在する

穏やかな聖地だった。

正直、これまでの騒々しいインドの町と

違って、日本の風景にも似ていて、ホッとした。

私たちは、ツーリストバンガローという、小さな規模の宿をとり

中庭が見えるいたって普通の部屋(25ルピー(当時一泊250円))を

ねぐらにして、2,3泊する予定だった。

翌朝、まだ薄暗い頃から、いたるところから祈りの唱和が聞こえてきた。

鐘の音と、サンスクリット語のマントラが遠くのアシュラムの

スピーカーから流れてくる。

うとうととその音色を耳にしながら、夢を見て、次第に外が明るく

なるにつれ、鶏の声や牛の声、犬の吼える声が聞こえてきた。

朝食に、軽いトーストとゆでたまご、熱いチャイを飲んで、私たちは、

散歩に出かけた。

ガンジスのほとりからは、すでに水浴びを終えた修行者たちが

びしょぬれになって、アルミの小さなバケツを持ち、川原に引き上げて

きていた。

ガンジスの色は、イメージしていたとおり、青く美しかった。

これまで、出会ったインドの河のイメージは、払拭された。

小高い山々に囲まれていて、見ることはできないが

この向こうに

ヒマラヤがあり、その雪解け水が集まって、このような美しい

河を創り出しているのだ。

そして、河に対しインドの人は祈り、唱和を捧げ、その聖なる水を

もって、各家に持ち帰るのだ。

その行為の真意は、日本人である私たちには、よくわからないが

光景を見ているだけで、心が安らぐ。

インドでは、河は、血管だという。

人間の血管を汚濁させれば、体の具合が悪くなる。

それと同じように、命の河を汚してはならないという。

この聖地では、魚をとることもない。住む人たちは

完全なベジタリアンであり、魚すら食べることはない。

工場もなく、河を汚すこともない。聖なるガンジスに尊称である

ジーをつけて

ガンガジーと呼び、河を敬っている。

この周囲には、何千とも言われる修業道場が点在し、世界中から

ヨガや瞑想に関心を持つ旅行者がやってくる。

私たちは、それほど強いヨガに対する関心はないものの

できるなら、期待を超えるようなヨガの先生に出会い、ユニークな体験をしたいと

望んでいた。

しかし、いくつか訪れた、ヨガスクールは、システマティックに

授業が行われ、決められた時間に先生が

来て、講義を受けたりヨガワークを受ける。こういうところでは、

ビックリするような偉人や聖者に出会うことはないと失望した。

2泊3日で十分かもね・・と私たちは、相談し、その分もう一箇所

ダライラマがチベット人と亡命して造られた街、ダルムシャーラーに

行ってみようか・・とバスのチケットを買いに夕方中央ストリートを

歩いていた。

リシケシの街から太陽が沈むと

通りは、橙色の裸電球が店先に点灯され、人の顔も

ようやく見えるかどうかというほど、暗くなる。

「私たちの子どもの頃は、電信柱に電球がひとつという

感じで本当に暗かったよねえ・・」と彼と話しながら

歩いていた。

「バスチケットを買ったら、今晩は何を食べようか・・。

そろそろインド料理もヘビーになってきたから

イタリアンでも行こうか。このガイドブックに書いてある

パスタは、どうかな?」

「うーん・・、田舎のインドだから、まったく期待は

できないけどね(笑)」

そんな会話をしていたときのことだ。

私たちにすれ違った一人のインド人が、私たちを振り返って

一瞬凝視した。

私は、なぜか彼の瞳に吸い寄せられ、時が止まったように

感じた。

その瞳は、とてもなつかしいような、彼を知っているような

不思議な感覚がしたのだ。

けれど、私は、一瞬でその考えを払拭した。

(いつもの、インド人の物珍しそうな凝視だ。

またこれまで散々私たちを騙してきたインド人と

一緒。きっと、そうに違いない)

そう思って、通りを歩いていた。

すると、数分後のことだ。

そのインド人男性が、私たちのすぐ横に追いついて

来て、言ったのだった。

「おまえたちは、どこへ行こうとしているのだ」

彼の声は、柔らかく太く、透きとおって私の心にすっと入ってきた。

けれど、私はこの旅で何度も経験した

人を騙すインド人のカテゴリーから抜け出せず、

彼の問いを、真摯に

受け入れようとはしなかった。

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2007年6月21日 (木)

小さな村プーリーへ

私たちは、カルカッタで痛い目に会い、逃げるようにして

プーリーという海岸の美しい街へ向かうため

夜行列車に乗った。

しかし、トイレに行っている間に

日本で買ったばかりの上質な寝袋を盗まれた。

小さな漁村のプーリーでは、ホッカムリをしたおじいさんに

「伊勢海老を海に行って採ってきてやるぞ!」と

意気込まれ、200ルピー(2000円)を渡したのだが、

その夜は、待てど暮らせど、とうとう

おじいさんは帰って来なかった。

ところが、翌日の夜遅く、おじいさんは、汚い新聞紙に

車エビのように小さな黒こげになったエビを持ってきて

「食べろ。焼いてきたぞ」と言った。

すっかり冷えた小さなエビを、ホテルの部屋でヤケ食いしている

私たちをじっと見て微笑んでいるおじいさんが、なんとなく

いとおしく思えた。

村を周るのに、リキシャーマンをやとって、彼に

毎日案内をしてもらい、仲良くなった。

40歳くらいに見えたが、彼は、まだ25歳の青年だった。

自転車に乗って、鍛えられた足が美しく、悲しげな目をしていた。

彼の住所を聞くと英語で「NEAR THE STATION」と書いてくれた。

「駅のそば」。 それだけで、彼がどのくらい貧しいのか

想像を巡らせてしまった。

彼の誕生日を聞いても、「分からない。母から教えてもらった

こともない」という。彼には誕生日は、ないのだ。

色々な人に出会い、日々、次第にインドのペースに慣れてきて

「なんだかなあ・・」と思いながらも、旅に余裕が出て

楽しくなってきた。

再びカルカッタに戻り、今度は、当時まだお元気に活躍されていた

マザーテレサに会いたくなり

マザーの施設をようやく探して、辿りついたのだが・・・。

                       続く・・・。

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2007年6月20日 (水)

恐怖のカルカッタ

足を踏み入れたのは、なぜか首都デリーではなく

強烈と言われるカルカッタだった。(現在はコルカタ)

インド通の人が意味ありげに言っていた。

「初心者は、デリーインのデリーアウトが望ましいよ。

カルカッタは、ヘビーだよ~」

初めての奴は、デリーに入国して、デリーから日本に帰れ。

それは、大都会で美しく整備された中心街の

デリーに宿泊すれば、キレイ好きな日本人に

とってカルチャーショックは少ない。

そして、旅をして疲れきった最後の日も、デリーに

泊まれば、気分もリフレッシュでき、温かいお湯の出る

バスタブに浸かることもできるから、

気分よく、帰国ができるよ。

という意味が含まれるのだった。

このことに気づくのは、50日の長い旅が終わる頃だった。

ともかく当時は、超格安チケットを買ったため

バンコックで乗り継いで、さらにバングラデッシュで

一泊。

翌日カルカッタに入るという、ハードな

旅で、私は、すでにバングラに深夜に到着した時、

片腕のない10歳くらいの少年が真夜中に

暗いバスの中で、タバコを売りつけに来られたのに

出くわして、

それだけで、気が遠くなるほど衝撃を受けた。

しかも、そのバスには、唸りをあげてすさまじい数の蚊が猛攻撃を

してくるのに、すっかり神経が参ってしまった。

こんなことで、インドでは、いったいどうなってしまうのだろう・・と

不安が高まっていった。

2日がかりで、ようやくカルカッタに到着し、ホテル探しをしている間に

道端で何度もハッシッシやマリファナを売りつける

男たちにつきまとわれた。

そこは、安宿を探すバックパッカーが集まるサダルストリート。

初めてのインドで、右も左も分からない旅行者は、彼らにとって

素晴しい鴨なのだ。

仕事をしたいインド人が、道端にうじゃうじゃたむろして、怪しい

視線を投げつける。

私たちの一挙手一投足を

じーっと眺めているのだ。

「ホテル、ミツカッタ?」

「ヤスイ、ホテルアルヨ」

慣れた日本語で、話しかけてくる。

私たちは、ドキドキしており、騙されてはいけないと

体を堅く身構えて、押し黙る。

「このホテル、ムシイッパイイルヨ。

イイホテル、ショウカイシマスカ?」

「いや、いいです」

親切心なのか、自分たちの仕事なのか、初心者の私たちには、

よく分からないのだ。

「チョトマッテー!ジャパニ、ハッシッシ、ヤスイヨ」

「ハロージャパニ、チョトマテ」

道を歩けば、インド人に当たり、無理やり止められてしまう。

次第に疲れて、行き当たりばったりの安宿に

落ち着くことになる。

「あー・・・やれやれ・・・」と

私は、バッタリ、ベッドに倒れこむ。

「参ったな・・」

彼も、ぐったりしていた。

そして、数分後、部屋のドアをノックする音が・・。

「ハロー、チョト イイデスカ?」

ホテルのボーイかと思い、

私たちがうっかりドアが開けてしまったが最後、

彼は、強引に部屋に入ってきて、我々のベッドに腰掛けて

嬉しそうに、包みを広げた。

「ヘイ、ジャパニ、トッテモグッドクオリティ、ハシシアルヨ」

こんな部屋にまで押しかけて、売るのか!?

私は、むかっとして、彼に言った。

「出て行ってもらおうよ」

「うーん。いくらなの?これ。」

「ベリーチープ!ハウマッチユーペイ?」

ハウマッチ ユーペイだと?

なんじゃ、この商売のやり方は・・・。

インド人が私たちに、どろんとした目つきでいう。

「カリキュレータ?」

電卓を出してやった。

彼は、そこに数字を叩き込む。インド人が唸る。

高いからとか、そういう問題じゃなく、私は到着して早々に

ドラッグを売りつけられて、しかもプライベートな部屋まで

押しかけられて、しかも、私が機嫌の悪い顔つきをしても

まったく気にしてくれない。

部屋から、一歩も出て行こうとしない。この事実に、腹が

たち、またショックだった。

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そして、数分後、彼が「やっぱりいらないよ」

というと、インド人が抜けぬけと言った。

「OK!カリキュレータ、プレゼント フォーミー」

「やだ。あげない」

「ドシテー?ナンデクレナイノ」と懇願する

インド人に、また私はビックリした。

「だって、僕のものだし、これ日本で高いんだよ」

しかしインド人は、負けていない。

「NO,NO! アナタ、カネモチネ。 

プレゼントする!ノープロブレム」

「いや、ビッグプロブレム!」

「オー!なんて人なんだー!」とインド人は、ビックリして

とっても寂しそうな表情をする。

この二人のやりとりに私は、気を失いそうになった!

「ねえ、部屋を出ていってくれない?頼むからさ」と私が言うと

「マダム、バクシーシ」と言って、私に施しの手を差し出した。

私が、顔を背けると彼に手を出してニッコリ笑って言った。

「ジャパニ!トモダチ!」

彼は、ポケットから初めてのルピーを、このしつこくて

厚かましいインド人にチップを差し出した。

「10ルピー!?少ない!20ルピーくれ!」

私は、頭に血が上るのを抑えるのが大変だった。

施しなのに、なんで値上げしてくるんだー!!!

しぶしぶと、彼は20ルピーを出して、ようやくことは

収まり、インド人は、両手を合わせて会釈すると

当たり前のような顔をして、部屋から出ていった。

私たちは、カルカッタイン早々に、強烈なパンチをいただいたのだった。

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2007年6月14日 (木)

当初、インドという国に対して、なんともいえない

奇妙な感覚を感じていた。

「どちらかといえば、嫌い」

「けれど、気になってたまらない」

「できれば、避けておきたい危険な匂いのする国」

そんな感じだった。

旅情報をガイドブックで見たり、写真集を買ってみたインドは、

その極彩色といい、溢れんばかりの人間の数といい、

あまりに強烈で、はっきりいって

「嫌悪感」すらあった。

きっと(凄まじい嫌な匂いがするのだろう)

(危険で、不衛生で病気になるかもしれない)

(人も騙す人ばかりだろう。怖いなあ)という直感。

(もちろんこの3つは、すべて現実になった。)

地球の歩き方を読めば読むほど、

そのリスクの高さに怯え始めた。

しかし、10億を超える人間が住んで、生きているんだから

同じ人間だもの。大丈夫でしょう。

「何も起きない退屈な人生」を選ぶことよりも

いつも私は、あえて、知らない世界に足を突っ込み、探検してみることを

よしとしてきた。

というわけで、初めてのインドは、とりあえず

英語のできるBFがついているから大丈夫と

考え、二人で50日間の旅に出かけたのでした。

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2007年6月11日 (月)

なんでまた、インドなの?

この回から、私の「インドのアシュラム体験記」を

書いていこうと思います。

まずは、27歳で、BFと初めて50日間インド・ネパールを旅し、

同年に、テレビディレクターとしてニュース番組制作のため

インドへ再び行くことになりました。

さらに、28歳で再び、ひとりプチインドの旅

そして、帰国後、すぐに渡印し、その後インドのアシュラムへ。滞在1年半。

31歳で、南インドとバングラデッシュへNGOの視察に行き

同年、北インドへ友人とぶらり旅。

32歳で、テレビ朝日の「ニュース番組」のレポーターとして

2週間、「ガンジス河2000キロの旅」撮影のためインドへ・・

まるで、その時期とりつかれたように、再三渡印し、

インドとの深い縁が出来ました。

その後、10年ぶりに息子(当時小学4年)と「インドサファリの旅」。

一昨年、昨年とそれぞれお客さまを

お連れし・・という具合で、一体、全部で何回インドに行ったのかは、

正確に思い出せないくらいです。

「なんでインドに行くの?」とこれまでに何度質問を受けて

きたことでしょう?

普通、アメリカに行くのに「なんでアメリカなの?」とは

あまり聞きません。

ヨーロッパに行くにも、そんな質問はあまりしません。

エジプトなら、だいたい「ピラミッド?」とポイントをついてきます。

しかし、インドに行くっていうと、大方の人たちは、

「えー・・・!あの汚い、暑い、貧困のインドに・・なーぜー?」と

まるでお化け屋敷に行くかのように、驚かれ、そこに行く私は、

かなり変わりものという目つきで見られます。

もう、その目つきにもすっかり慣れてしまった私は、

答える時に、色んな答え方をして楽しんでいます。

「うーん・・・なんでって言われるとねえ・・つまり運命に乗せられたって

ことかなあ?」

ある時は、「それはねえ、前世でインド人だったから。行かざるを得なかったの(笑)」

またある時は、「インドは、私の第二のふるさとだから、里帰りかなあ?」

「インドが私を呼んでいるのよ」などなど多様な答え方を

しています。

「なぜインドなのか?」・・・本当の答えは、実は私にも未だ分からないのです。

ひょっとすると、私自身が、それを知りたくて

旅を続けているのかも知れません。

それでは、旅のはじまり、はじまり~  次に続く

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