インドでは、騙されたり、病気になったりと、約1ヶ月で
一通りの洗礼を受けた。
入国時よりとりわけ逞しくなった
私たちは、ネパールの旅を後にして、再びインドへ戻り
最終訪問地を”青きガンガー”の流れる「リシケシ」という
ヨガの聖地に決めた。
この街は、私が単に「青きガンガー」という言葉に惹かれたのだった。
ガンジスの色が青いなんて、ベナレスで見てきた
死体を流し、多くの人が祈りを捧げる巨大で茶色いガンジス河からは、
想像もつかないものだった。
長さ2000キロというガンジス河は、まさに長き人生を経て
色々な支流と出会い、成長して色を変えていき、いずれは
広大なる海に出会う、あたかも人間のように思えて
ならないのだ。
その上流、いわば生まれてしばらくたった幼児のような
ガンジスとは、どのようなものなのだろう・・と一目見たく
なったのだ。
さらに、ガイドブックには、「サフラン色の衣をまとった求道者たちが
朝夕に祈りを捧げる光景が見れる」と書かれてあった。
私は、ビートルズのジョンレノンが訪れ、修行したと言われる
この聖地に、魅力を感じたのだった。
首都デリーから、安いボロボロのローカルバスに乗り、
舗装もままならない石だらけの道をほこりを舞い上げながら
8時間走った。
いくつもの森や山を抜けると、そこは静かで小さなガンジスの流域に
へばりつくようなアシュラム(いわゆる修行者たちの道場)が点在する
穏やかな聖地だった。
正直、これまでの騒々しいインドの町と
違って、日本の風景にも似ていて、ホッとした。
私たちは、ツーリストバンガローという、小さな規模の宿をとり
中庭が見えるいたって普通の部屋(25ルピー(当時一泊250円))を
ねぐらにして、2,3泊する予定だった。
翌朝、まだ薄暗い頃から、いたるところから祈りの唱和が聞こえてきた。
鐘の音と、サンスクリット語のマントラが遠くのアシュラムの
スピーカーから流れてくる。
うとうととその音色を耳にしながら、夢を見て、次第に外が明るく
なるにつれ、鶏の声や牛の声、犬の吼える声が聞こえてきた。
朝食に、軽いトーストとゆでたまご、熱いチャイを飲んで、私たちは、
散歩に出かけた。
ガンジスのほとりからは、すでに水浴びを終えた修行者たちが
びしょぬれになって、アルミの小さなバケツを持ち、川原に引き上げて
きていた。
ガンジスの色は、イメージしていたとおり、青く美しかった。
これまで、出会ったインドの河のイメージは、払拭された。
小高い山々に囲まれていて、見ることはできないが
この向こうに
ヒマラヤがあり、その雪解け水が集まって、このような美しい
河を創り出しているのだ。
そして、河に対しインドの人は祈り、唱和を捧げ、その聖なる水を
もって、各家に持ち帰るのだ。
その行為の真意は、日本人である私たちには、よくわからないが
光景を見ているだけで、心が安らぐ。
インドでは、河は、血管だという。
人間の血管を汚濁させれば、体の具合が悪くなる。
それと同じように、命の河を汚してはならないという。
この聖地では、魚をとることもない。住む人たちは
完全なベジタリアンであり、魚すら食べることはない。
工場もなく、河を汚すこともない。聖なるガンジスに尊称である
ジーをつけて
ガンガジーと呼び、河を敬っている。
この周囲には、何千とも言われる修業道場が点在し、世界中から
ヨガや瞑想に関心を持つ旅行者がやってくる。
私たちは、それほど強いヨガに対する関心はないものの
できるなら、期待を超えるようなヨガの先生に出会い、ユニークな体験をしたいと
望んでいた。
しかし、いくつか訪れた、ヨガスクールは、システマティックに
授業が行われ、決められた時間に先生が
来て、講義を受けたりヨガワークを受ける。こういうところでは、
ビックリするような偉人や聖者に出会うことはないと失望した。
2泊3日で十分かもね・・と私たちは、相談し、その分もう一箇所
ダライラマがチベット人と亡命して造られた街、ダルムシャーラーに
行ってみようか・・とバスのチケットを買いに夕方中央ストリートを
歩いていた。
リシケシの街から太陽が沈むと
通りは、橙色の裸電球が店先に点灯され、人の顔も
ようやく見えるかどうかというほど、暗くなる。
「私たちの子どもの頃は、電信柱に電球がひとつという
感じで本当に暗かったよねえ・・」と彼と話しながら
歩いていた。
「バスチケットを買ったら、今晩は何を食べようか・・。
そろそろインド料理もヘビーになってきたから
イタリアンでも行こうか。このガイドブックに書いてある
パスタは、どうかな?」
「うーん・・、田舎のインドだから、まったく期待は
できないけどね(笑)」
そんな会話をしていたときのことだ。
私たちにすれ違った一人のインド人が、私たちを振り返って
一瞬凝視した。
私は、なぜか彼の瞳に吸い寄せられ、時が止まったように
感じた。
その瞳は、とてもなつかしいような、彼を知っているような
不思議な感覚がしたのだ。
けれど、私は、一瞬でその考えを払拭した。
(いつもの、インド人の物珍しそうな凝視だ。
またこれまで散々私たちを騙してきたインド人と
一緒。きっと、そうに違いない)
そう思って、通りを歩いていた。
すると、数分後のことだ。
そのインド人男性が、私たちのすぐ横に追いついて
来て、言ったのだった。
「おまえたちは、どこへ行こうとしているのだ」
彼の声は、柔らかく太く、透きとおって私の心にすっと入ってきた。
けれど、私はこの旅で何度も経験した
人を騙すインド人のカテゴリーから抜け出せず、
彼の問いを、真摯に
受け入れようとはしなかった。
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